概要
遺産名:
メテオラの修道院群
Meteora
国名:ギリシャ
登録年:1988年
登録基準:(i)(ii)(iv)(v)(vii)
概要:
メテオラは、ギリシア北西部・セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院の共同体である。その名はギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロス」(μετέωρος)という言葉に由来している。メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きるギリシア正教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既に、この奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。メテオラに修道院共同体が成立したのは、14世紀、セルビア王国がセサリア地方に勢力を拡大してくる時代であるといわれる。(Wikipediaより)
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歴史
メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きるギリシア正教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既に、この奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成することはなく、単独で修行する隠修士が主流であった。
メテオラに修道院共同体が成立したのは、14世紀、セルビア王国がセサリア地方に勢力を拡大してくる時代であるといわれる。それまで東ローマ帝国で修道院活動の中心を担っていたアトス山は、1346年にはセルビア領の中に組み込まれた。セルビア王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンはアソスの修道院に多大な保護を与え、その活動を奨励したが、当時の戦乱を避けて多くの修道士がアソスを出て南下し、メテオラに住み着いた。その一人が修道士アサナシオスで、彼はメテオラに主の変容(メタモルフォシス)修道院を創立した。アサナシオスはアトスに於ける修道院共同体の様式、いわゆるキノヴィオン(共住)を導入して修道院共同体の確立に努めた。これらに前後して、聖ニコラオス、聖ステファノスなどの修道院も創立されている。
1393年から翌1394年にかけて、バルカン半島に支配権を広げていたオスマン朝はセサリアをも併合した。長い異教徒支配の時代がここに始まり、初期には異教徒支配を嫌い、アソスに移住する修道士も見られたが(ヨアサフもその一人である)、オスマン朝はメテオラの修道院に一定の保護を与えその活動を保証したので、間もなく修道士も戻り、変わりなく修道活動が継続された。
メテオラの風光明媚な景色と修道院文化への関心からこの地域も観光地化が進み、世俗を避ける修道士にとっては活動に適さなくなりつつある。そのため、メテオラを捨てより閉鎖的なアトス山に移住する修道士が増加している。争乱の時代にアソスを捨てた修道士によって建設されたメテオラ修道院共同体であるが、今度は近代化の波の中で逆の現象が生じたのである。
メテオラの修道院
2012年現在、6つの修道院が活動中である。
大メテオロン修道院
メテオラ修道院群の中で最大の修道院。14世紀中頃に建立された。「救世主の変容」を意味するメタモルフォシスの名前でも呼ばれ、1387年に建立された同名の主聖堂がある。
ヴァルラアム修道院
1541年に建立された。大メテオロンのすぐ隣に立つ修道院である。14世紀に活動した隠修士ヴァルラアムの居所に、ヨアニナ出身のセオファニスとネクタリオス修道士兄弟によって現在の修道院が建てられた。
ルサヌ修道院
16世紀中頃に建立された。大メテオロン同様に救世主変容を記念した修道院であるが、同時に聖女ヴァルヴァラにも捧げられている。現在の修道院は1545年の創立。垂直に切り立った岩の上に三層建ての修道院の建物が建つ。
聖ニコラオス・アナパフサス修道院
通常聖ニコラオス修道院と略称される。14世紀にラリサ府主教・スタギ(現カランバカ)・ニカノル修道院の聖ディオニシオスにより創建。クレタ出身のセオファニスという画家による壁画が残る。
聖ステファノス修道院
修道院そのものは14世紀前半に存在していたが、1367年に共住の修道院として創建された。ルサヌ修道院同様に女子修道院。メテオラの中では修道士の活動が早くから見られた場所で、1192年には隠修士イェレミアスがいた事が知られている。
アギア・トリアダ修道院
1475年、ドメティオスにより創建された。至聖三者に捧げられた修道院。
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関連動画へのリンク
Meteora Greece - Suspended in Air
UNESCO公式HP(英語版)へのリンク
https://whc.unesco.org/en/list/455