文化遺産
遺産名:
エルサレムの旧市街とその城壁群
Old City of Jerusalem and its Walls
国名:エルサレム(ヨルダン)
登録年:1981年
登録基準:(ii)(iii)(vi)
概要:
エルサレム旧市街はイスラエルのエルサレム市中にある旧市街で、面積は0.9km2 の区画で、城壁に囲まれている。エルサレムはいくつかの歴史的な宗教における重要な遺跡を含んでいる。ユダヤ教徒にとっての神殿の丘と嘆きの壁、キリスト教徒にとっての聖墳墓教会、ムスリムにとっての岩のドームとアル=アクサー・モスクなどがそれである。ダビデの息子のソロモン王は都市の壁を拡大した。その後、アケメネス朝ペルシャ帝国領時代の紀元前440年頃、ネヘミヤがバビロンから戻り、市壁を再建した。西暦41年から44年にかけては、ユダヤの王アグリッパ1世が「第三の壁」として知られる壁を建造した。1219年に、市壁はダマスクスのアイユーブ朝スルタンのアル=ムアッザムによって完全に破壊された。1229年にはエジプトとの条約によって、エルサレムは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の手に渡った。1239年には市壁の再建が始まったが、壁はケラクの首長Da'udによって再び破壊された。1243年にエルサレムは再びキリスト教国エルサレム王国の勢力下に入り、市壁も修復された。しかし、翌年にはホラズムが都市を陥落し、市壁をまたも破壊した。現存する旧市街の市壁は、オスマン帝国の皇帝スレイマン1世によって1538年に建造されたものである。長さは約4.5 km、高さは5 - 15 m、厚さ3mになる。(Wikipediaより)
Photo by Ray in Manila, Javier Gallego, Konstantinos Mantidis, J, Emmanuel DYAN, Andrey Sulitskiy, Steve Evans from Flickr
主な構成資産
嘆きの壁(ユダヤ教の聖地)
ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁のうち、現存する部分。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった。現在の「嘆きの壁」に関する最も古い記述は、11世紀の詩人 Ahimaaz ben Paltiel によるものとされる。現在広く使われている Wailing Wall の名称は、1917年にイギリス人によってつけられたとされ、これは19世紀のヨーロッパの旅行者が、この壁を「ユダヤ人が嘆く場所(wailing place of the Jews, フランス語: Mur des Lamentations, ドイツ語: Klagemauer)」と呼んだことに由来する。
聖墳墓教会(キリスト教の聖地)
聖墳墓教会は、エルサレム旧市街(東エルサレム)にあるキリストの墓とされる場所に建つ教会。ゴルゴタの丘はこの場所にあったとされる。伝えられているところによれば、コンスタンティヌスの母ヘレナが326年にエルサレムを訪れ、当時はヴィーナス神殿となっていたこの地で磔刑に使われた聖十字架と聖釘などの聖遺物を発見したとされ、ゴルゴタと比定した。神殿を取り壊して建てられたのが現在の聖墳墓教会である。教会の中の小さな聖堂がイエスの墓とされている。
岩のドーム(ムスリムの聖地)
岩のドームは、東エルサレムにある、カアバ、預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域となっている。現在はイスラム教徒の管理下にあるが、南西の壁の外側の一部だけが「嘆きの壁」としてユダヤ教徒の管理下にある。7世紀末に完成した集中式平面をもつ神殿である。
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