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シェーンブルン宮殿と庭園

2021年6月24日

文化遺産
遺産名:
シェーンブルン宮殿と庭園
Palace and Gardens of Schönbrunn
国名:オーストリア
登録年:1996年
登録基準:(i)(iv)
概要:
シェーンブルン宮殿は、オーストリアの首都ウィーンにある宮殿。ハプスブルク王朝の歴代君主が、主に夏の離宮として使用した。1619年、狩猟に興じていた皇帝マティアスによって「美しい(Schönerシェーナー)泉(Brunnenブルンネン)」が発見され、これが「シェーンブルン」の由来となった。オスマン帝国の脅威が去った後、神聖ローマ皇帝レオポルト1世は、息子・ローマ王ヨーゼフの夏の離宮として、この地に新しい宮殿を建設することを決意した。設計を嘱託されたヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハは、パリのヴェルサイユ宮殿に対抗して、それを模しつつも凌駕する、壮大な宮殿を計画した。マリア・テレジア治世下の1750年頃、ニコラウス・フォン・パカッシーによって完成された。(Wikipediaより)

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Photo by rob utrecht, Hatem Riahi, Wolfgang Bayer, HELENE BAUDART, tommstoerhains, fabian.schiller from Flickr

歴史

レオポルト1世による建設

オスマン帝国の脅威が去った後、神聖ローマ皇帝レオポルト1世は、息子・ローマ王ヨーゼフの夏の離宮として、この地に新しい宮殿を建設することを決意した。

神聖ローマ帝国の往時の勢威を回復させたいという願望ゆえに、新しい宮殿には、神話や歴史からの陰喩を駆使する英雄的表現が期待された。設計を嘱託されたヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハは、パリのヴェルサイユ宮殿に対抗して、それを模しつつも凌駕する、壮大な宮殿を計画した。それは、神聖ローマ皇帝という存在はフランス王権を凌駕するものでなければならないと考える宮廷、領邦君主、貴族たちの願望の現れであった。

この計画によれば、現在グロリエッテのある丘陵を宮殿の建設場所とし、斜面北側をテラスにして、それをグロットをもつ擁壁で支えることになっていた。そして主庭園は斜面南側に展開されることになっていた。

しかし、当時のハプスブルク宮廷の苦しい財政事情では第1案のように壮大な宮殿を建設することは現実的に困難だったため、計画は大幅に縮小されて、遥かに簡素な第2案が設計し直された。

第2案は、宮殿を丘陵に建設するのは諦めてその下に建設し、主建築に両翼をつけるというものだったが、それも直ちには実現されなかった。マリア・テレジア治世下の1750年頃、エルラッハの第2案を骨子として、ニコラウス・フォン・パカッシーによって完成された。外壁は金を塗る計画であったが、マリア・テレジアが財政状況を考慮し、黄金に近い黄色にした。これを「テレジア・イエロー」という。

夏の離宮:マリア・テレジア以降

マリア・テレジア以降のハプスブルク家は、シェーンブルンを夏の離宮として、好んで逗留した。特によく利用したのは、マリア・テレジアとフランツ2世であった。1762年10月13日、鏡の間において、マリア・テレジアの前で御前演奏を行ったモーツァルトは、退出するとき、すべって転んだ。これをマリア・アントーニア(後のマリー・アントワネット)が助け起こしたところ、モーツァルトが「あなたをお嫁さんにしてあげる」というような趣旨の発言をしたと伝えられる。

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、毎年春秋をここで過ごし、晩年には王宮ではなくこちらに常住するようになった。1916年11月21日、フランツ・ヨーゼフ1世はこの宮殿のベッドの上で崩御した。

1918年11月11日、「青磁の間」において最後のオーストリア皇帝カール1世が「国事行為の断念」を宣言した。カール1世の退去に伴い、オーストリア共和国政府の所有となった。

主な構成資産

宮殿

幅約175メートル、奥行き55メートルのバロック様式の外観の宮殿の中に、全部で1441室の部屋があり、約1000人もの侍従や使用人が住んでいた。彼らのために、139もの調理場があった。部屋の多くは、ロココ様式で装飾されている。2009年現在、公開されているのはおよそ40室ほどにすぎない。正面右側翼には宮廷劇場がある。

観光客に公開されている2階部分を除いた居室が、文化財管理公社によって賃貸住宅として一般に貸し出されている。これは1960年代にウィーンの住宅不足問題の解決策として考案されたものである。居住者は建物の性質を変えない程度のリフォームは許されている。家賃は比較的安価だが、現代では居住に不便な部分も多々あるとされ、住宅物件としてのウィーン市民の人気は低い。官舎であるため、公務員であることが入居の条件であったが、1992年にその制限は撤廃された。

シェーンブルン宮殿 (Flickr)

グロリエッテ(戦勝記念堂)

長さ100メートルの回廊建築。1775年、宮廷付建築家のヨハン・フェルディナント・ヘッツェンドルフ・フォン・ホーエンベルクによって建てられた。1757年にマリア・テレジア軍がプロイセンのフリードリヒ2世に勝利したことを記念して建てられた。対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊のために立てたギリシャ建築の記念碑。付近にある池は、噴水や主庭園のための貯水池としての機能も有している。

グロリエッテ (Flickr)

ネプチューンの噴水池

海神ネプチューンの下に、息子アキレスのトロイへの旅の無事を祈るテティスの姿が造形されている。その他、海の神々の半人半獣像が河馬とともに群像を形造っている。

ネプチューンの噴水池 (Flickr)

(Wikipedia)

世界遺産クイズ

世界遺産検定クイズ

「シェーンブルン宮殿」の説明として、正しくないものはどれか。

関連動画へのリンク

オーストリア、ウィーン:シェーンブルン宮殿(Rick Steves)

Vienna Austria | Schonbrunn Palace

UNESCO公式HP(英語版)へのリンク

https://whc.unesco.org/en/list/786

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